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2007年10月16日

足利市とは歴史が深いものですね

足利市(あしかがし)は、栃木県南西部にある市。古くは足利庄が栄えて清和源氏義家流・足利氏発祥の地としても知られ、フランシスコ・ザビエルが「坂東の大学」と呼んだ有名な足利学校がある。

1990年の16万8,217人(国勢調査による)をピークに人口減少が続いている。県庁所在地である宇都宮市に次ぐ規模を誇っていたが、2006年国勢調査にて小山市に抜かれ県内3番目となった。現在の人口は約15万8000人。国道407号を南進した群馬県太田市(約21万8000人)、埼玉県熊谷市(約20万7000人)は当市と同規模だったが市町村合併により人口増となった。当市は市町村合併がなく都市郊外化が進行した結果、市中心商店街は凋落しシャッター街となった。しかし、あしかがフラワーパーク等により平成13年は263万人だった観光客入込数が2005年には301万人に増加している。

市の北部に足尾山地、南部に関東平野が広がり、中央部を渡良瀬川が流れる。 山地と平野の接点に位置する。市役所(本城三丁目2145番地)の海抜は34.54m。

隣接する佐野市(人口約12万7000人)、桐生市(人口約13万人)、太田市(人口約21万8000人)、館林市(人口約8万人)とともに両毛地域の都市核であり、県都である宇都宮市よりも群馬県東部地方との経済的・文化的繋がりが深い。特に桐生市・太田市との関係は県境を跨いで密接である。旧小俣町・葉鹿町は桐生織物組合に加盟していたことがあり、小俣町は桐生市外十四箇町村医療事務組合にも加盟していた。

下野国足利荘は清和源氏義家流・足利氏ゆかりの地で、鎌倉時代に足利尊氏は後醍醐天皇の討幕運動に参加し、室町時代には足利将軍家となった。 近世近代において織物業が発達し、その自由にして闊達な足利人の気風を生んだ。 両毛線敷設の時、「ジャパンランカシャープラン」と命名し、資金を国内外から集め、横浜をリバプール、桐生・足利をマンチェスターに準えた木村半兵衛の功績によるところが大きい。

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