2008年01月11日
ワールドトレードセンター
映画をまだ観てない人は是非!
ワールドトレードセンターまたは世界貿易センター (World Trade Center, WTC) は、かつてニューヨーク市マンハッタン区のローワー・マンハッタン(マンハッタンの南端)に位置していた商業センターである。
かつて、ワールドトレードセンターは「ワールドトレードセンター・コンプレックス」という、5万人の勤務者と1日20万人の来館者のあるニューヨーク最大のオフィス/商業センターであった。 コンプレックスは1WTCから7WTCまでの7つのビルによって構成されたが、特にその中心となっていたツインタワー(1WTCおよび2WTC)は完成時に世界一の高さを誇り、2棟の巨大な直方体が並び立つ姿はニューヨーク市やマンハッタンのシンボルとなっていた。日本で単にワールドトレードセンタービルといえばこのツインタワーのことを指した。
しかし、2001年9月11日の9/11テロ(アメリカ同時多発テロ)によってツインタワーが崩壊し、その衝撃を受けたコンプレックスの他のビルも全壊した。その跡地はテロ後長らくグラウンド・ゼロと呼ばれ、再建計画をいかにするかが世界中の関心を集めていたが、現在ではフリーダム・タワーを含む新WTCビル群の再建が進んでおり、敷地も「ワールドトレードセンター・サイト」と呼ぶことが定着してきている。
WTCの敷地はかつて「ラジオ・ロウ(ラジオ横丁)」といわれた電気部品街・倉庫街のほか、ハドソン川横断鉄道のターミナルビルがあった。偶然にもこれも双子のタワーで、22階建てで二ブロックを占める程の大きさがあり、1908年の建設当時は世界最大のオフィスビルであった。地下にハドソン川を渡るニュージャージー州からの通勤鉄道の終着駅があったが、その経営はモータリゼーションによって破産状態にあった。
増大する海外貿易のための大規模な商業取引センターをニューヨークに作るという案は第二次世界大戦直後からあり、1946年にニューヨーク市によって設立されたワールドトレード社がいくつかの建設案を作成したものの、資金不足などで計画倒れとなっていた。この計画に関わっていたデイヴィッド・ロックフェラーは1950年代後半からマンハッタン各地でリンカーン・センターなど都市の数十ブロックを丸ごと再開発する計画を進めていたが、ローワー・マンハッタンで再度ワールドトレードセンターを作る計画を始め、1960年にニューヨーク港湾公社(1930年に設立されたニューヨーク・ニュージャージー両州にまたがる港湾地域の開発を目的とした公団、1972年にニューヨーク・ニュージャージー港湾公社と改称)のオースティン・トービン総裁に提案した。
第二次大戦中から総裁を続ける実力者トービンと港湾公社は、ワールドトレードセンター計画を強力に推進することにし、最終的に場所をハドソン川横断鉄道でニュージャージー州との交通も便利なハドソン川沿いの現在の敷地に決定した。老朽化した一帯を再開発で全て更地にし、巨大なオフィスビルを複数作って貿易関係の企業を集積させ、税関施設や港湾公社などの貿易ビジネスをサポートする機関も全て含めたワールドトレードセンター・コンプレックスの建設がこうして決定したのである。さらに、ハドソン川横断鉄道を港湾公社運営による新鉄道にし、その駅も新築して敷地内を走るニューヨーク市地下鉄との乗換駅とし、交通ターミナルを構築することにした。
(以上、ウィキペディアより引用)
あの日、アメリカの経済のシンボルがなくなりました。。
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- at 09:46